沖縄行き便
沖縄へ行く前日の夜、都城の「おかげ祭」実行委員会の会長をされている川本さんという方とひょんな事で出会い、意気投合して朝の3時過ぎまで飲み明かしていました(珈琲で…)帰宅して仮眠2時間ほどしてどうにか朝の沖縄行き8時15分発の飛行機に乗り込みました。
そこで待っていたのは飛ぶ前からゲーゲー吐く若者が座っている列、実はその若者は僕が座るべき窓側に暗〜い顔して座っていたのです。「そこは僕の席だけど〜」と一言いおうと思いましたが、あまりの暗さに「まぁいいか」と通路側に座り反対側座席をみたら空席のままだったので反対の窓側席を替え新聞を読んでいましたら、ガサガサと袋を出し音、その直後ゲーゲー吐く声が耳に入ったのです。僕は彼に声をかけずに良かったと思いました。離陸5分前の出来事…。
しばらく上空を飛んでいる間も隣ではゲーゲーと吐いているようでした。新聞を一通り読み、睡眠不足だしなぁと目を閉じていてら客室乗務員のせわせわした足音が近くで聞こえるのでコーヒサービスかなと思い見たらゲーゲーと吐く若者の姿はなく、せっせと掃除する乗務員の方が2名来ていました。沖縄に着いた時、その若者の姿を見なかったので彼はどうしたんだろうと今でも思っています。それにしても彼の前後に座っていた方は臭くてきつかったでしょう。僕の方にはまったく臭ってきませんでしたけど…。
沖縄の一番寒い日
沖縄空港へは10時頃に着きました。今回のスポンサーは株式会社シンプルハウスの我那覇さんという社長さんで知念さんという女性の方お二人が出迎えに来られていました。天気は小雨、沖縄で今日は2番目に寒い日だそうで「すごく寒いでしょう?」と言われましたが、都城の寒さに比べればちょっと寒いかなという程度です。やはり皮膚感覚は土地によって随分ちがうようで、沖縄の2月の典型的な天気だそうです。もしや今回の旅はずっとこんな天気か?と思っていましたが、本当にそうでした。
そして、お二人共寒がりだそうで外に出る度「さむい〜!」の連発が印象的でした。
さて、このシンプルハウスという会社は新規事業の為に起業した会社で本業は米軍キャンプ内の施設設計をされています。今回お呼びしていただいた主な目的は、僕の本業であるデザイナーとしての知恵を借りたいというのものでした。それと酒元さんのお計らいでハルカファミリーとの共同プロジェクトについての提案も会議中なされましたので、今後はその方向にも進んでいくだろうと思いました。仕事的打ち合せ内容はさておき、今回は二泊三日の旅でしたのでしっかり沖縄の文化を堪能してきましたので、そのあたりを中心におおざっぱに報告しときます。
沖縄料理と思いきや
2月5日、昼食は日本料理店に入り定食を食べました。どれも美味しく残さずに食べました。最後に出た「ぜんざい」に少しびっくり、目の前にあるのは金時豆に小麦に米団子が汁に入っているのです。どうみてもぜんざいではなかったので我那覇さんと今回一緒に同行していただいた知念さんという女性の方にもう一度聞き返しました。「小豆のぜんざいもあるのですけど沖縄で一般的にぜんざいという時はこれなんです」という答えが返ってきました。甘味は黒砂糖を使っているので独特な風味がありますが、僕は毎年正月に金時豆を煮て食べる習慣を何十年と続けていますので金時の甘い汁も好きですし違和感が全然ありませんでした。
食事が終った後は夕方までみっちり会議が続きました。シンプルハウスでの会議が終了したら次は前回お世話になったオーシャン21のオフィスに移り、そこでは沖縄県産業振興公社の局長さんや部長さんそれに大阪からはドリームゲートの吉住さんもお見えになり酒元さんの構想を聞かしていただきました。本気でハルカファミリーをバックアップしていこうという気持ちが伝わってきました。具体的な企画内容については又別の機会で。
泡盛との出会い
そして、夜の小宴会、「どこか希望がありますか?」とおっしゃるので、沖縄民謡酒場のような居酒屋が…と言いましたが、観光客相手の店ではあるのかもしれませんが、地元の方々はあまりピンと来なかったようです。ここらは、僕の観光カタログや情報誌の見過ぎかもしれません。地元の方はあまり沖縄民謡ライブの店とかはいかないようです。結局は地元直営の日本料理という看板文字の入った大きな店に入りました。勿論、沖縄郷土料理はありましたので、豆腐チャンプルーやソーメンチャンプルー等も食しました。いやぁ〜本当に美味しいです。参りました。生ビールで乾杯した後、僕だけですが泡盛の古酒をいただきました。最初、水割りのゆるいの作っていただきましたが、後はロックでいただきました。「いけますねぇ」とびっくりされるので「いやぁ僕は飲めないたちなんで…」と言っても皆さん全然信用していただけませんでした。
9時ちょっと過ぎにはお開きし、車で送っていただきホテルにチェックイン。前夜が2時間程度しか寝てなかったのでベッドに横になった途端、着替えもしないまま眠ってしまいました。
朝8時30分に我那覇社長さんが迎えに来る事になっています。
沖縄そばと黒糖そしてポーク缶
2月6日、時間通りホテルに迎えに来られました。午前中みっちり会議を行い、僕なりにも良い提案ができたし社長も大変その提案を気に入っていただけましたので、「午後からの予定は繰り上げましょう。夕方、酒元さんとお会いする間、お一人で国際通りとかを散策されてはいかがですか?」となりました。その前に昼食をという事で「沖縄そば」に決めました。
一口に沖縄そばといっても相当な種類があるようで、沖縄そばを理解するには、多分一旦ここに住んであちこち時間かけて食べ歩かない限り分らないだろうと思いました。
我那覇さんお薦めの店はあいにく休みだったので、以前行列ができていたという評判の店に入りました。
そこで僕は初めてソーキそばを食べました。沖縄ではラーメン店は繁昌しないですとの我那覇さんの言葉通り、沖縄そばとはラーメンとうどんの合体メニューなのです。こんな風に説明した途端、カミさんは引きましたが、これがまた実際食べてみると多分クセになりそうな位、最初は独特な味ですが多分2度3度と食べる内に病みつきになった僕の友達の気持ちが理解できました。その彼は都城にいますが、毎月1.2回わざわざ宮崎に沖縄そば(彼曰く沖縄本場の味との事)を必ず食べに行くそうです。
ソーキそばを食べながら沖縄料理について色々お聞きしました。僕は根っからの甘党なので菓子類にはうるさいんですと前置きした上で、黒糖の本場であるはずの沖縄の菓子は一元観光客を相手にしたどうでもいいような土産菓子があまりにも多いと思いますと辛口を言いましたら「私もそう思います」とおっしゃいました。
僕は個人的に黒糖の歴史や文化的背景に興味をもっていますのでお二人からかなり貴重な話を聞くことができました。
もうひとつびっくりしたのはポ−ク缶です。この際だから私らが普通に使うスーパーをのぞいてみませんか?となりましたので、食後、地元のスーパーに立寄りました。まず缶詰コーナーを見てびっくり!おびただしいポーク缶の種類が並んでいるではありませんか!内地では高級缶に入る類い(都城に戻り早速、各スーパーを見て回りましたが一ケ所のみ、それも約3倍近い価格が付いていました)が目玉商品で山積みというわけです。
今回沖縄に行くにあたってカミさんから「土産はいいからね〜」と言われていましたが、これこそ土産とばかり購入しました。重くはなりましたがその話題性といいお得感といい空港土産売場や観光地では買えないものを、ごく普通のスーパーで購入できたというのは、おおげさではありますが、今後の沖縄観光土産を考えるの上でのひとつのヒントにはなるのかもしれません。
結局、国際通りや公設市場さらには行く先々の観光地でもほとんど土産らしいものは購入しませんでした。今回の旅行、あくまで仕事が中心ではありますが、それでも人は見知らぬ土地に行き、そこで感動するものがあれば買うものです。その点では一番の感動、それは普通のスーパーだったと思います。
それにしても残念なのは黒糖系の菓子類にそれらが見当たらない事です。但し、黒糖そのものでは翌日2月7日、せっかく沖縄に来られたんだからとお二人は僕の為に一日時間を作っていただき、観光案内をしていただきました。その帰り道、道の駅で見つけました曰く付きの黒糖を購入しました。これは食べずに記念品としますと言ったらニコニコされていました。
まだ、6日は終っていませんので続けます。土産についての話題はこれくらいにして、もうひとつ体験したかった事、それは沖縄音楽を聴く事でした。
沖縄音楽今昔
午後8時、オーシャン21の酒元さんがホテルに迎えに来てそのまま北谷町の一番ホットスポット「アメリカンビレッジ」まで行きました(前回もここ周辺の店で美味しい米国スタイルのステーキを食べました。今日のニュースで知りましたが沖縄でも米国ステーキで食べられなくなって大変だとか)。あいにく酒元さんお薦めの店はどうやら閉店らしく、りんけんバンドが運営しているライブハウスに連れていってくださいました。ティンクティンクという姉妹プラス三線奏者による沖縄音楽グループで耳障り良く楽しみました。トークの中で私達に「そこお客さん地元ですよねぇ」と言うもので「そ〜です」と答えてしまいました。眉が濃く目がギョロっとしていますので自分でも納得です。味は…さすがチャンプルー=何でも有り!?
多分10時30分頃に出て次は酒元さん行きつけの店、ぜひ丸野さんに紹介したいマスターなのでという事でいきました。ホテルに戻ったのは2時過ぎでした。そのマスターは喜納昌吉&チャンプルーズのドラマーの方だったのです。もう解散して喜納昌吉さんだけが突出して有名人になりましたが、初期の沖縄音楽シーンを知っている僕にとってあの時代をそのまま生きている人と対面できるなんて…という気持ちで次第にテンションが上がりまして(泡盛の酔いもありました…)最後は彼の奏でる三線に音に我も忘れて踊りました。僕にとっての沖縄音楽はここで出会いました。本当に楽しい以上の感激を味わう体験をさせていただきました。
いきなり米国そしてリゾート沖縄
2月7日沖縄最後の日、我那覇さんと知念さんが迎えに来ましたので10時にチェックアウトして、一路那覇より北上します。コザ(今は沖縄市)の米軍基地に入りました。
基地への出入りは厳しく、たまたま今回我那覇さん達は基地の仕事をしててパスポートを持ってらしたので、その方がエスコート(身分保証)となり、さらに自分の免許証を提示して許可が降りるのです。
基地の広さたるや何しろ4000m級の滑走路が2本、それも同時発着可能といいますので、それだけでもすごいと思いますが、その基地の数倍の広さの弾薬庫があそこに方面なんですといわれてもピンと来ません。米国からは大抵ファミリーできていますので学校から全て揃っているんです。ビジターの入れるファーストフードセンターに行きましたが完全に米国です。
ここで我那覇さん達がハルカちゃんにと土産を買われましたが支払いはドルです。またドルを日常で持っているという事自体ここ沖縄は米国とは切ってもきれない関係なんだと本当に思いました。
次は万座ビーチホテルでフランス料理バイキング、エスカルゴ美味しかったです。もうここまで来ると完全に気分はリゾート状態、あいにく今回の旅の間ほとんど曇り日でしたので、観光パンフ等でみる総天然色の景色とまではいきませんでしたが満喫しました。
万座を後にして海洋博跡地にできた美ら海水族館を目指して北上。途中名護市に入ったあたりから渋滞しだしたのでどうしたのかと思いましたら、宮里球場周辺の人だかりそうです、お目当ては日本ハムの新庄クンでした!それで納得、実は昨夜りんけんバンドが運営するライブハウスに北海道からの家族連れのお客さんが来ていました。ほう〜!北海道からも沖縄観光するんだ〜っと思ったのですが、お目当ては日本ハムで追っかけファン家族だったのです。
さて沖縄観光ドライブの終点、美ら海水族館に着きました。ここは現在沖縄記念公園になっていて今日からフラワーフェスタの開催日と重なりメイン会場ではイベントが行われていました。沖縄舞踊を観ました。もう感激です。海水族館、小判サメの大きい事、皆さんもう生で見るしかありません。すっかり時間を忘れていましたがすでに4時30分、かなり那覇から離れていますのでそろそろお時間のようで…。帰路、道の駅に寄って、ここでしか買えない我那覇さんお薦めのサーアンダギーをいただきながら空港に戻りました。
又少し沖縄に心が近づいたそんな旅でした。
沖縄との出会いを作ってくれた酒元さんには感謝!!そして沖縄を愛して止まない多くの友達に感謝!、最後に僕を呼んでいただいた我那覇さんそして知念さん本当にありがとうございました。
PS 今回時間の都合で会う事の出来なかった又吉さんからこんなメールをいただきましたので紹介します。
メールどうもありがとうございます。 沖縄での滞在、楽しまれたようで何よりです。米軍基地なんて、沖縄の人でも基地職
員しか立ち入れないような場所なのに、今回はラッキーでしたね。
実はあの土曜日の放送では、沖縄の浦添市(うらそえ市)というラジオ局のある市の 住民登録をしたタクシー会社の会社員の犬、アルフォント・浦城(うらしろ)・ボ
ギーくんとその上司をゲストとしてお迎えしてお話を伺っておりました。その上司の 方は手登根(てどこん)さんというのですが、ハルカファミリーのことを既にテレビ
などで知っていて、犬つながりなのでお話したら「犬が社員の会社は僕らが初めてだ と思いきや、犬が(名誉)会長の会社もあったんだ!!」って、妙に感動していまし
たよ。(笑)
今度沖縄にいらっしゃる時には、一緒にボギーくんに会いに行ったり、泡盛を飲みに 行ったりしましょうね!!
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